間違いを指摘される事の重要性を理解できない人

Life is beautiful: 大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなる

 その時にも思ったのだが、「間違いを指摘してもらえる大人」にならなければいけないとつくづく思う。このブログでも、しょっちゅう誤字・脱字を繰り返している私だが、それを指摘してくれる人には本当に感謝しなければいけない。遠慮がちに、「あげ足を取るようで申し訳ありませんが…」と指摘してくれる人がいるのだが、大歓迎なので、これからもどんどん、遠慮せずに私の誤りを指摘していただきたい。

都合のいいときばかり子どもに憧れる大人たち

大人は大人同士を尊敬しあっている。だから、ある種の場面においては、「たぶん」では反論しないし、反論されない。この文化が消えたら、多くの人々は尊厳を傷つけられ、悲しい思いをすることになる。一昔前のお役所仕事を思い出したらよい。役人は市民をガキ扱いした。提出書類には当然、誤りがあるに違いない、という態度で接した。それで市民は感謝したか。

誤読としての批判への批判~都合のいいときばかり「子ども」を持ち出す大人~ - こころ世代のテンノーゲーム

これは、「度量のある懐の深い人間になろうと思う」という宣言であり、あるいは「みなさんもいかがですか」という呼びかけでもある。
もちろん、何をか宣言するのは自由であるし、また、それが「呼びかけ」であるとしてもそれが強制力を持つものでないことは明らかであることから、それをもって否定することもできないはずである。

この指摘は間違いなく正しい。

id:deztec - 補足記事
http://d.hatena.ne.jp/deztec/20051208/p1


id:deztec - 補足記事
http://deztec.jp/x/05/12/#children

気軽に「間違い」を指摘されるようになる、とは、子ども扱いされるようになることと同義である。謙虚を目指すのは自己矛盾といってもよい。自分ひとりがそうなるならいいのかもしれないが、みんながそうなってしまえば、ますます大人社会からは不確実な指摘は消えていくことになる。確実な指摘だけでは、誤りのほとんどは見過ごされる。

あーつまりあれか、間違いを指摘される事は屈辱と理解しているわけだ。つまんない自尊心だこと。

「間違いを指摘してもらえる大人」にならなければいけないとつくづく思う。と satoshi さんはいう。「謙虚な大人になりたい」ということだろうか。

これを憶測という。

あと、論理の飛躍がすごい。

安心して「間違い」を指摘してもらえるよう、謙虚な人柄を志向すれば、自身はますます他人に指摘しづらくなる。塾や学校で子どもに接すれば、彼らの強情と生意気に驚くはずだ。彼らは素直さを摩滅させていくのではない。人格の成熟が彼らを謙虚にし、お互いを尊重する心を育てていくのだ。

謙虚な人柄と間違いを指摘してもらえるようになる事は同義ではない。何をどうとったらそういう帰結になるのか?

例えば、加野瀬(id:kanose)氏やid:otsune氏が謙虚な人柄だろうか?お二人とも間違いの指摘にはちゃんと応えている。また、ビル・ゲイツはとても謙虚な人柄ではない。だが、古川亨氏のブログなどを読む限り、間違いの指摘には素直に感謝している。また、ビル・ゲイツ自身がその著作で如何に悪いニュースが経営陣に届くようにするかの重要性を指摘している。もちろん、悪いニュース=間違いの指摘ではない。ただ、自尊心に傷がつくという意味では同義だろう。

人は、誤りを認められなくなる時成長を止めるのだと思う。現に、周りをイエスマンでかためた権力者・経営者の失墜の例は多い。そういった過ちについて中島聡(satoshi/id:snakajima )氏はUIengie社のCEOとして、また一人の人間として、自戒を込めて自身の経験談をベースに分かりやすく書いたに過ぎない。

徳保氏は自分の感情論を中島氏に投げかけるべきではない。

あ、あと、補足の方で

  • 摘がほしければ、ガキ扱いされるような人間になればいいのだ。
  • にいって、大人が大人であり続ける限り、指摘する側は躊躇する。

これは恐らく誤字だと思うので直した方が良いと思います。

文章ぐたぐただけど、眠いのでこの辺で。誤りがあったら躊躇なく指摘お願いします。

おやすみなさい。

補足

謙虚の定義の前に大人と子供の定義が必要でしょう。

というのは冗談ですが。
徳保氏は本気で自己矛盾に気がついていないのならば経済学の本を読みあさる前に国語の本を読むべきでしょう。

気軽に「間違い」を指摘されるようになる、とは、子ども扱いされるようになることと同義である。

  • 指摘がほしければ、ガキ扱いされるような人間になればいいのだ。
  • 大人が大人であり続ける限り、指摘する側は躊躇する。

そして多くの場合、謙虚さは特定の局面のみで発揮されるものではない。したがって、他者の指摘に対して謙虚に対応する人は、自分が他者に対して指摘することにも慎重になります。tomozo3 さんは kanose さんを例示されましたが、デンマンさんと比較してくださいよ。kanose さんは謙虚です。傲慢なデンマンさんとは態度が全然違う。

過ちを認めるのは、謙虚ではなく、素直

デンマンさんに過ちを指摘する人が少なく、加野瀬さんに意見や異論を述べる人が多くいるのは、加野瀬さんが指摘に対して、詭弁で返したり、何も言わずにこっそり変更修正したりはしないから。当然ながら、加野瀬氏をガキ扱いしている人は殆どいない。少なくとも俺は知らない。デンマンさんに対する批判の多くが直截的でない理由は当然徳保氏も理解しているはず。大人が大人に意見を躊躇するのは良くある話。だが、そのことにより恥を書いた痛い経験が中島氏自身にもある。何故その話を取り上げない?

中島氏が言わんとすることは、間違いの指摘にも異論にも意見にも率直に耳を傾ける姿勢を見せることにより、早期に間違いを修正することが、大事、と言うこと。

分かりやすいように数式にします。

C(コスト)=M(間違い)×h(時間)

Mあるいはhが少なければ少ないほどcは少なくなります。どちらかが0であればそもそも発生しません。しかし、放置すればするほど増大します。

Mを放置した無駄な公共事業が国家に与えた影響を挙げるまでもなく、Mを放置することにより様々な危険がまします。Mを修正できなかった企業は倒産に追い込まれますし、国家であればデフォルト等に見舞われます。ただし、修正には別途
P(自尊)というコストがかかりますので、Cがあらかじめ些少と見込まれる場合には放置される傾向があります。中島氏が言わんとすることは、Pの摩耗を最小限に設定することによりCの発生を押さえ込もう、と言うこと。

それが即ち度量の大きい人間であり≠謙虚です。

相手が言ってもいないことを脳内で補完した上で子供っぽい愚痴は別で述べるべき、と言うこと。

以上

補足の補足

■言葉の定義の問題

であるならば、まず謙譲の定義を示すべきでしょう。謙譲の定義を示さず矛盾した用法を用いているのが徳保氏。指摘した矛盾に対し、ご説明願います。

謙譲と素直は場面によって重なる部分もありますが、異なる概念です。類義語ではありませんので。

それから、中島氏は指摘する人の問題だけを述べているのではありません。指摘される方についても述べています。度量の大きい人物に付いても述べていて、それについて憶測で「謙虚な人物」と言う言葉を持ち出したのは徳保氏の方。

謙虚な人は素直になれないことが多い。謙虚な人、度量の大きい人、素直な人、これらは似たような人物像を想像させますよ。
異なる概念を勝手にひと括りにして論を進めるのは普通詭弁といいます。気がついていないのなら修正すべきでしょう。それから、その一文だけでも、謙虚と素直の使い方が矛盾しています。

■それは逆が逆


Kiya2014氏が直接コメントで指摘したのは承知の上。その他、国際感覚についても指摘した人を承知しています。しかし、その人は、デンマンさんの返事に対し、この人には言葉が通じないのだな、と言う感想を漏らしました。そして多数の人は遠巻きに見ているだけです。俺が指摘したのはそういう事です。これは、指摘を貰う事に失敗している事例としか言えません。

■本題


都合の良い時に都合の良い部分を切り抜きするのは誤り。

気遣い無しのコミュニケーションは、日本の大人社会では珍しい。しかし少なからぬ人は、子どもの頃、モヒカン族的だった。「王様は裸だ」といえたんです。で、人々は何故、気遣いを重視するようになったのですか? 大人は、物語としては「裸の王様」のラストに登場する子どもに憧れますが、本気でそうなりたいとは思っていない。

ところが、大人は子どもに対しては気遣いよりも教育指導を優先します。だから大人は子どもの「間違い」を指摘する際にはモヒカン族的な行動を取る。つまり、大人は子ども相手にはモヒカン族、大人相手にはムラ社会の住人を演じています。

裸の王様の物語は、裸の王様になるなという教訓話で子供に憧れる話ではありません、通常の解釈では。
現在の日本社会で気遣いなく指摘できないという点では同意。だからこそ、中島氏は指摘する方も指摘される方の両方の視点からの呼びかけを行なったわけです。
ワイン通氏の話ばかり持ち出すが、中島氏自身が指摘されなかった事による恥ずかしい体験もきちんと述べた上で、両方の問題について書かれています。
都合の良いところだけ切り張りして強弁するのはおかしいでしょう。

あと、子供と大人の話は全く本筋と関係ありませんので、再度持ち出さず、ご自身のテクスト内で完結するようお願いします。