詭弁と愛国心とワールドカップ

承前

「日本代表」を応援する人に愛国心はないのか?-日々是自己主張
http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/717

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あるのか、ないのか、それが問題だ-日々是自己主張
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日々是自己主張の中の人: 愛国心について
http://akky20060204.seesaa.net/article/19280387.html

愛国心について

あるのか、ないのか、それが問題だ-日々是自己主張
http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/718

国家や政府による愛国心教育に反対する気持ちは分かるとして、いったいその人たちは、自分には愛国心があると思っているのでしょうかね、ないと思っているのでしょうかね。ここをはっきりしないと、どうも議論の核心が見えてこないのですよね。

いやぁ、議論ってレベルではないと思うのですが(笑)

俺は日本大好きですよ、好き好き大好き超愛していると言っても過言ではありません。
はしたないのでそんなこといちいち表明するまでもないと思っていますが。

さてさて、国家とは何でしょうか。
法学的には以下の要素を備えたものです。

国家 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6

国家の三要素

  • 領域(Staatsgebiet:領土、領水、領空)- 一定に区画されている。
  • 人民(Staatsvolk:国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。
  • 権力(Staatsgewalt)ないし主権- 正統な物理的実力のことである。この実力は、対外的・対内的に排他的に行使できなければ、つまり、主権的で(souveran)なければならない。

(2006/06/15現在//はてな記法に合わせるため一部修正した)

即ち善き日本国民であるところの俺は、人民(Staatsvolk:国民、住民)の一人であり、日本国憲法に定められた主権者の一人であり、日本を否定する必要はありません。なぜなら俺が日本国(の構成要素及び主権の一部)だからです。

解説その1

「日本代表」を応援する人に愛国心はないのか?-日々是自己主張
http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/717

日ごろ、愛国心を嫌悪し否定している人たちの中で、サッカーや野球のワールドカップのときに何の迷いもなく日本代表を応援している人たちって、きっといますよね。そういう人たちはなぜ他の代表チームではなく日本代表を応援するのでしょうかね。

 国家から何らの強制も受けたくないという人は、まず国民や国家という概念を徹底的に否定してみてはいかがかと思います。そうでないと筋が通りません。筋が通らない主義主張は、結局のところ、単なるポーズに過ぎないのではないかと思うわけです。いや、ポーズならポーズでいいんです。初めからそういってくだされば、わざわざこんな風に突っかかって行きやしないのですからね

ここで何がおかしいかと言えば「愛国心を嫌悪し否定している人たち」についての説明ですね。
"愛国心を嫌悪し否定する人"→"国家から何らの強制も受けたくないという人"と言う飛躍。飛びすぎですね。俺の主張は"私的領域"への干渉への反対であり、何らの強制を受けたくないと言うわけではありません。また、俺は今のところ"国家から何らの強制も受けたくないという人"を見たことがありません。ここが俺が「詭弁」と判断した所以です。

ひっくり返せばよく分かります。
愛国心を肯定する人は、全てを疑うことなく受け入れなくてはならないのですか?審議中の法案に問題があると思えば指摘するべきだと思うし、現行法あるいはその運用に現実との齟齬があれば当然それを指摘べきでしょう。

まずは、"国家から何らの強制も受けたくないという人"の実例を提示することをお願いします。

しかし、これがid:kmizusawa氏のワールドカップ応援を見て書かれたと言うことでさらに脱力です。

解説その2

あるのか、ないのか、それが問題だ-日々是自己主張
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昨日の僕の記事は、「愛国心を否定する日本人が日本という国に自ら帰属意識を持って日本代表を応援するのはおかしいんじゃないの?」という趣旨でしたので、もしその趣旨を正確に読み取っていただいていれば、tomozo3さんという方は愛国心という概念を否定する意見を持った人であるということが推測できます。

いいえ全く違います。
俺は「愛国心を否定する」という言葉の使い方が詭弁であると指摘したのです。その趣旨を正確に読み取っていただいていれば、Akky/吉田照彦氏と言う方は、愛国心という言葉を都合よく使い分ける方だと言うことが推測できます。

(念のため書きますが、最後まで読んでいただければ分かると思いますが、上記"愛国心という言葉を都合よく使い分ける方だと言うことが推測できます。"というのは本気でそう思って書いているわけではありません)

「愛国心は自然に備わるものって言う詭弁はそろそろ終わりにしませんか」と結んでいるのはどうも解せません。愛国心が定義できていなければ、それが自然に備わるものなのかどうかを論じることもできないはずだからです。

これも勘違い甚だしいですね。

まず、国家という概念が近代以降に形成されたものである点。これはAkky/吉田照彦氏と同意見です。これの形成に関わるものはメディア、教育を含む啓蒙によるものです。また、生まれ育った土地に親近感を感じるというのは愛郷心として区別して考える必要があるでしょう。
そういった意味で「愛国心は自然に備わるもの」というのは詭弁と指摘したのです。

そういった区別も行わないまま愛国心についてべらべら述べている人たちについて皮肉を述べたわけです。

愛国心と言う言葉にまつわる問題

まず、実体としての愛国心と運用としての愛国心を分けて考える必要があります。
俺は実体としての愛国心は全然否定するものではなく、むしろ積極的に肯定します。

だが、運用としての愛国心についてはかなり懐疑的です。
なぜなら愛国心という言葉を相手の批判封じのため利用しているのを目にしているからです。例えば、米国の"右派のアイドル"アン・コールターのような腐れ外道がそのように利用しています。

故に俺は愛国心と言う言葉を安易に持ち出す論を信用していません。

また、愛国心教育を歌った教育基本法改正にも反対です。
それは「帰属意識」を高めるためではなく、「従属意識」を高めるためではないかと疑っているからです。一旦法律として成立してしまえば、それをたてに色々口を出す人がいますから。また、実際現場ではどのように対応しろと言うのでしょうか?

俺自身は、社会・歴史等を教える中で、国の成り立ち、仕組みを教えることを通じて、あるいは俺やAkky/吉田照彦氏が誇りを持って生きることを身を以て示すことが本当の意味で愛国心を教えることになると考えています。

これは現行の教育基本法で行えることで、法改正の必要だと考えていません。

ついでに言えば、同時に他国の人もやはり愛国心を持っていることを忘れてはいけないと思う。ワールドカップの競技場の真ん中に書かれている言葉のように。

ぶっちゃけると

ベッカムファンだからと言う理由だけで、女王陛下に忠誠を誓わないままイングランド応援するのもありだし、ヒデに憧れて日本代表を応援するペルー人がいてもいいと思う。

あと、Akky/吉田照彦氏は具体的に、日本に帰属意識を持たなくて、国家から何らの強制も受けたくない人でかつ日本代表を応援している人の実例を出してください。id:kmizusawa氏がそうであるというのなら、その根拠を示してください。

まとめると

ずいぶんと皮肉も書いたけど、俺とAkky/吉田照彦氏の愛国心に対する認識はさほど差はない様に思われる。
だが、俺はやはり「愛国心」という言葉を恣意的に使うご都合主義者は懸念すべき存在だと思うし、見かけたら突っかかりますよと。
俺にとって愛国心は誇りを持って為すべき事を為すことであり、愛国心という言葉を振りかざすことではないのです。

「国家」という概念そのものを肯定し承認する限りにおいて、愛国心や帰属意識をはじめとする一定の「縛り」から自由でいることは不可能である、というのが僕の考えです。

俺はアナーキストじゃないので国家そのものを否定はしないけど、国家というものが人間によって構成/運営されていることを忘れてしまってはいけないと思う。