誰が『下流社会』というフィクションを支持するのか

System.exit(); - 「下流社会」に書かれていることの信憑性なんて、ぶっちゃけどうでもいい

重要なのは、「あの本がたくさんの人に受け入れられた」ということだと思います。賛否両論があるとは思いますが。

id:umeten

しかし、メジャーメディアではさんざっぱら煽り文句として利用されているという罠。

と言うことで、誰が『下流社会』を支持しているか、と言うことについて検証してみた。

■『下流社会』というエッセイについて

『下流社会』という新書が売れている。
その内容のいかがわしさは、数多く指摘されているにもかかわらず。そして『下流社会』『下流』という言葉が一人歩きしているようにも見える。

何故だ!?*1

では、あの本を肯定的即ち受け入れている/支持している文を引用する。

その「前代未聞」の仕事の中で三浦さんはいくつか掬すべき重要な指摘を行っている。
これは社会批判として(あるいはメディア批判としても)重く受け止めるべきものだろう。

つまり、下層の若者の方が「個性」や「自己実現」に高い価値を賦与しているのである。
三浦さんはクールに「そうした価値観の浸潤が、好きなことだけしたいとか、嫌いな仕事はしたくないという若者を『下』においてより増加させ、結果、低所得の若者の増加を助長したと考えることができる。」(160頁)と書いている。
私も同感である。

続いてこちら。

 「格差社会本」が論壇のブームになっているが、その中の一冊に「下流社会 新たな階層社会の出現」(光文社新書)という本がある。パルコや三菱総研を経て、現在はカルチャースタディーズ研究所というシンクタンクを作っている三浦展氏が、消費社会的分析から階層社会化を論じた非常に興味深く、かつ読んで面白い書籍である。たとえば団塊ジュニア世代の女性では、自分が「下流」と認識している層ほど、ルイ・ヴィトンなどのブランド品が好きであるという調査結果など、驚くべき話があちこちに出てきて飽きない。

もう一つ、こちらは個人名ではなく、公共の媒体なのでリンクを張る。
「下流社会」が日本のものづくりを破壊する(かもしれない) - 日経ものづくり - Tech-On!

自閉する若者…『下流社会』の行方は(東京新聞)

最初に引用したのは大学教授、次に引用したのは一線で活躍するジャーナリストである。リテラシーがどうのこうのと言って、朝日新聞だのをDISっているような連中が、ころりと引っかかったわけだ。

メディア二つは日経ものづくりと東京新聞。あの程度のレトリックを見抜けない奴はきっと動作不良を起こす者しか作れず返品とクレームの山を築くと思われる。仮説ですが*2

およそ、この本を肯定的に扱っている人の23.4%がマスコミ関係者であり、うち、12.2%は収入で言えば平均年収を上回っている。逆に、平均年収を下回っているうちの11.3%も支持していることは刮目にしなければならない。また、そのうち82%が非正規雇用者だ。

失われた10年というのは何が失われたのか?

話は変わって、良く「失われた10年」という言葉を聞く。では、「失われた」のは何か?GDPの成長率だけだろうか?外貨か?貯蓄か?

否!*3

失われたのは機会だ!少なくとも71年〜82年生まれにおいては成功の機会、結果として成功を得る機会を失ったのだ。
もちろん全てではない。あるものは正規雇用者として、あるものは専業主婦として、またあるものは起業家として成功を収めた。それを否定するものではない。

が、それら成功者と成功の機会に恵まれなかったものとの違いは何処にあるか?
「運」に過ぎない。
と言うのはもちろん言いすぎだが、この「失われた(=奪われた)世代」はその人数に比してえることが出来る成功の量というのはあまりにも少なすぎた。

今、また景気は上向いている(とされる)。雇用状況は改善されつつある。だが、その恩恵を受けれるものは、「失われた世代」ではない。その後の世代だ。

編集長・前川タカオの「編集前記」/Tech総研

透明な世代の透明な決意 - こころ世代のテンノーゲーム

そしてここにもう一つ、隠れた格差が隠蔽されている。
三浦はそこからも巧妙に目を逸らさせている。

■隠された格差について

そして何故三浦は、『下流社会』において一都三県のみを対象としてその他の地方をまるで別世界のように扱ったのか。

前述の雇用が改善されている、というのはあくまで一部の地域である。東京を始め、名古屋、大阪などの大都市、或いは工場が近辺にある地域に限られる。

地方に行けば行くほどその状況はせっぱ詰まる。それらの状況について敢えて言及しない、と言うことでまるでそんな問題などない、と言うのが三浦が示した答えだ。

『下流社会』が売れているのは東京に集中している(およそ72%)というのも頷ける話である。

■で、誰がフィクションを真実にするのか?

ここまで読んだ、勘のいい読者は既に気がついているかもしれない。

失われた10年』の犠牲者になったものに対し、「意欲がない」というレッテルを貼ることによって安心したい者だ!

即ちバブルの恩恵を受けたり、これから恩恵を受ける者、同期を蹴落とし蹴散らしたまたま犠牲にならなかった者が、「私たちが悪いんじゃない!」と言いたいがために後ろめたさを解消するために(喜んで)受け入れる物語だ。

即ち『下流社会』とは免罪符なのだ

ニート対策に対し『人間力』という胡散臭い言葉が使われているのは偶然ではない。ニート・フリーターを貶めることにより、社会の問題を隠蔽し或いは目をそらしたい連中がいるのだ。
『人間力』なんていかがわしい言葉を付けた運動で始めたり、35年後に所得倍増とか、フリーターは新しい終身雇用だ、とか言っている人がいる。

言っとくがな、相手は生身のニート・フリーターなんだぞ!
マンガやアニメのキャラクターじゃないんだ。

疎外されるあれば傷つくし、それが一生モノの深手になる事だってある。それぐらいは理解しとけ。

■予告

続きは来週です。

■余談だが

三浦展氏は「インターネットは下流の娯楽」等とスカしたことを言ってないで、WEB上で持論を展開すべきと思う。ブログでもなんでも。それともそんなスキルがないからあんな事書いたのか?「下流社会」で宮台氏と森永氏に皮肉を書いているが、両氏共にブログを書いて、ちゃんとTB/コメントも受け付けている。

culturestudies.com

あと本書で紹介した数値は、捏造で統計学的有意性に乏しいことは認めざるを得ない。したがって、見出しに「?」が多いように、本記事で書かれていることの多くは仮説である。

■没ネタ

俺にからめよ俺に。それともあれか、俺には勝てないとか、テレビとSPA!しか見ない低リテラシーを洗脳しようとか、そういう意図か。(それとも想像するのは楽だが調査から演繹するのは面倒だとでも?)

つーか、絶対舞い上がってるっしょ、あいつは。自分は上流社会のマーケッターだからあらゆる社会学から解放されるのだ、みたいな勘違いをしているとしか思えない。のみならず、読者をないがしろにする出版社に光文社が堕落しつつある(ように見える)原因の相当部分が彼にあるような気さえしている。自分のマーケッターとしての欲求を、35万読者の利害に優先させているに違いない。

*1:坊やだからさ

*2:三浦展メソッド

*3:始まりなのだ