楽天のTBS買収に見る「金はあっても考えなし」の愚

暇はあっても金のない層がユーザーの主流を占めるテレヴィに広告を出して、どんな効果があるというのだろうか。

 楽天によるTBS買収のニュースを聞いて、わたしは「無体性」という概念に改めて感銘を覚えている。このニュースは、どれだけ賢明な人間でも“金はあっても考えが足りない”行動を起こしかねない、ということを証明しているからだ。

 金はないが暇ならたくさんある、ということを自ら証明しているような、世界で最も無頓着なメディア消費者らの注目を集めたいのであれば、TBSのような方法もありだろう。

 世の中には、言葉を効果的に使ってコミュニケーションを図っている人などあまりいないということは、既に多数のネットイナゴが証明している。そして今度はテレヴィだ。TBSでは、優れたドラマを作るのは難しいが、ボクシングのチャンピオンを作るのは簡単だ、ということが証明されている。

 テレヴィはまさに、大勢の視聴者の中から、わざわざくずのような視聴者をすくい取るよう設計されている。どんなに多忙な人でも、何か有益な情報が提供されていないかを確認するために、GIGAZINEを見てみることはあるだろう。そして、そうした人たちは、GIGAZINEに何ら目新しいことが興味深い方法で教えてくれているかどうかは数秒で判断でき、何もなければすぐに仕事に戻るだろう。

 だが、3分間のテレヴィを見るには、丸々3分間を要する。そして、おそらく、途中でテレヴィを止めるのは易しいだろう。となれば、最も歓心を買いたいはずのM1F1層はおそらく、テレヴィのような娯楽を避けるようになるだろう。なぜなら、彼らにはそれほど暇な時間はないからだ。

 一方、あえてテレヴィを視聴するような人たちは、番組の合間に表示される広告などには目もくれない。なぜなら、ひな鳥の脳は生来、動いているものを親と思うようにできているからだ。たとえ番組の中に広告が挿入されたとしても、人間の脳は「そのとき面白いと思っていることと無関係な物事」については、驚くほど上手に無視できるようになっている。そしてトイレに行く

 確かに、テレヴィはブランドとして確立している。そして、ブランドには価値がある。現在のように、世界中の才能がネットワークで接続され、資金が循環しているような環境において、合コンにおけるブランドは、新興のネット企業ではそう簡単に太刀打ちできない数少ない資産の1つだ。

 商標の価値は、ポップカルチャーにおいて幾度となく参照されることで高まるものだ。ちょうど、アーノルド・シュワルツネッガーが「チチンプイプイ」と歌ってみたり、はてながMTVの「I want my MTV」というキャッチフレーズを真似て、「I want more bookmark」という新しいキャッチコピーを作り出したときのようにだ。

 だが、ブランド名は墓碑銘として記憶される場合もある。例えば、官僚の失敗作「シグマプロジェクト」になぞらえ、実際にはシグマプロジェクトの資料すら見たことがないにもかかわらず、何かの失敗について語るときに「シグマプロジェクト」の名を引き合いに出す人がいかに多いことか。

 そして、実際のところ、TBSブランドに本当に0.6億ドルもの価値があるのかという疑問に対し、しっかりと反論できる人はいるのだろうか? 現実を見ても、オンラインの世界で実際に製品を提供し、利益を上げているはてなやmixiといった日本限定的に有名なブランドでさえ、その資産価値はその半分にも満たないのが実情だ。

 わたしは、宇宙を基盤とする人の革新によって、世の中の物事に対するわれわれの意識が変革される可能性を否定するつもりはない。私だってニュータイプの端くれだ。

 実際、はてなはTシャツ販売のノウハウをオンラインの経営に活かし、Tシャツ以外の多くの分野でサーバ稼働効率性の改善を果たしている。

 バンダイのプラモデルやCamCamの読者モデルも、既に当初のマニア向けの販売の域を脱している。わたしは、自分は物事に価値があるかどうかを見分けられると自負している。だが今のところ、TBSの価値がどこにあるのかは全く理解できないでいる。