『他人を見下す若者たち』を見下す
えー、akogina氏よりご指名がありました書籍をようやく読み終えたので酷評します。
- 作者: 速水敏彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/02/17
- メディア: 新書
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なんというか、読後に、煮てないラーメンを食したような、焼いてないステーキを食したような、そんな感覚が味わえる良書です。
本書の神髄はあとがきに現れています。俗に言う『三浦展メソッド』です。
この仮説と言うよりは一種の私自身の思い込みを、心理学と言う土俵の上で縦糸と横糸として織り込んで、できるだけ誰もが納得のいく形にして人間理解に繋げたいと言うのが本書を書くきっかけである。
ここで示した見方は、まだ心理学界で十分に認められたものとは言えない。実証的研究は二、三年前から私の研究室のグループが始めたばかりである。
このあとがきに書かれている事は、決して謙遜でも韜晦でもなく、全くもって事実であります。
文中に頻発する「ではなかろうか?」「と思われる」と言う言葉をカウントすればどれだけ憶測と推測と思いつきで書かれいるかが分かると思います。
しかし、何者かの圧力によってこの行為が行われたのは事実。
いやしかし、思いつきをそのまま書籍にして出版するなんて、まさに新書2.0!
50%メソッド発動であります。
「若者はキレやすい」と言う事実とは異なる思い込みを出発点にしている展で既にトンデモ理論である事は保証されているわけですが、せめてもう少し、ほんの少しでも事実関係を考証してもいいんではなかろうかと思うのであります。
ただ、筆者を少しだけ弁護すれば、筆者は必ずしも「他人を見下す」のが若者だけではないのかもしれないという疑義を多少織り交ぜています。
検証しろよな!
まあ、本書で読むべきところは第6章だけではないでしょうか。ここだけはまあ、大学生の卒論よりはマシなことが書いてあると思います。特に次の記述は興味深かった。
観察者や視聴者は誰もが解説者のような気分になり、上から見下ろしているような錯覚に陥る。原因帰属の研究で、行為者より観察者は、行為者の行動の原因を行為者自身の要因に帰しやすい、と言う知見があるが、観察者になる機会が多いと、実は自分の事を見つめようとせず、代わりに直接知らない他者の表面的な欠点などが、多いに気になるようになる。(p.142)
id:*@%&$#*1のことかー!
それはともかく、筆者が若者を見下す仮想的万能感に浸っているのは紛れもない事実といえるでしょう。
*1:お好みのウォッチャーのidを挿入して下さい、脳内で